教授挨拶・教室沿革

教授挨拶

教授挨拶

初代の稲富昭太教授、2代目の可児一孝教授に続いて滋賀医科大学眼科学講座を担当させていただいている大路正人です。医科大学および大学病院の使命は現在ある最高水準の医療を提供するとともに、今は治療できない難治性疾患の診療を可能にする未来の医療を創造すること、それを可能にする次世代の医師の育成であると考えています。

  • 診療

    人は外界からの情報の約80%を「見る」ことから得ています。高いQuality of Visionの改善・維持を通じて、高いQuality of Life (QOL)を提供することが眼科の使命です。白内障などの一般診療を高い水準で提供することに加えて、大学病院の使命として重症眼疾患・難治性眼疾患の治療にも重点をおき、患者さんに寄り添い、不安を取り除く医療を目指しています。網膜硝子体、緑内障、弱視斜視、眼炎症、神経眼科、色覚異常についてはそれぞれ専門医師が担当し、先端の診療を行なっております。重症眼疾患の診療を充実させるためにも、病診連携を重視し、近隣の病院や診療所との連携をさらに強めていきます。

  • 教育

    滋賀医大眼科は滋賀県唯一の医育機関としてこれまで100名以上の眼科医を育成し、滋賀県ならびに近隣の府県の眼科医療の一翼を担っております。高い水準の医療を提供でき、さらに医学の発展にも貢献できる志の高い眼科医を育成することが重要です。学生や研修医には眼科診療の奥深さを実感できる実践的な教育を行い、眼科専門医にはさらに高度な医療を目指した指導を心がけています。

  • 研究

    臨床講座として診療で発生する難問を解決するための研究に力を注いでいます。これまで治療できなかった難治性疾患に対する新しい治療法や検査法、これまでより侵襲の少ない治療法の開発を目指して研究を行なっています。網膜硝子体疾患に対する新たな診断法や治療法の開発、色覚の遺伝子研究などを含め、未解決な臨床の問題を解決するために臨床研究に加えて、基礎研究にも取り組んでおります。

医科大学の3本の柱である診療、教育、研究をバランスよく達成するために「人のため、正しく、楽しい眼科」を合言葉にして、患者さんのためになる眼科を目指していきます。

教室沿革

初代教授 稲富 昭太教授

初代教授 稲富 昭太教授

滋賀医科大学は昭和49年10月に開学し、眼科学講座は昭和53年4月に開講しました。そして、稲富昭太先生が、初代眼科学講座教授として着任しました。稲富教授は京都府立医科大学出身で、教授着任前は大津赤十字病院眼科部長を勤めていました。稲富教授は専門領域である斜視・弱視の臨床、研究の発展に尽力しました。可児先生と共同開発したファンダスハプロスコープを用いて、両眼視機能や回旋斜視の研究を精力的に行い、昭和61年の日本眼科学会の宿題報告で、その成果を発表しました。また、平成4年の日本眼科学会の特別講演では、MRIをいち早く眼科臨床に応用し、その功績により同年に「日本医師会医学賞」を受賞しました。昭和62年6月からは本学の副学長も兼任し、学内の教育や研究の発展にも尽力した。そして平成5年5月に本学を退官しました。

第2代教授 可児 一孝教授

第2代教授 可児 一孝教授

可児一孝先生は神戸医科大学(現在の神戸大学医学部)出身で、昭和62年2月より助教授として赴任され、稲富先生の後、平成3年1月、第2代教授に就任しました。可児先生の専門領域は斜視と神経眼科で、稲富教授とともにファンダスハプロスコープを共同開発し、斜視研究の発展に力を注ぎました。また、先生は日本視野研究会の代表も務め、国内外の視野研究の中心的存在です。赤外線カメラを用いた眼底視野計を世界に先駆けて開発し、その後の視野計の進歩に多大な貢献をしました。さらには、角膜内皮撮影装置の開発にも尽力し、今日の眼内手術の安全性の向上にも大きく貢献しました。平成14年4月には、図書館長も兼任し、学内で取り扱われる論文雑誌の電子化の推進にも大きく貢献し、平成16年3月に本学を退官しました。

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